平成17年8月1日、横浜市長あてに要望書を提出しました。

平成17年8月1日

横 浜 市 長
 中 田   宏 殿

横濱本牧観光協会      
会 長 鶴 田 理一郎  

横浜近代建築アーカイブクラブ
代 表 仁 木 政 彦  


旧スタンダード石油社宅の保存・活用に関する要望書

 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 日頃より、歴史的建造物の保全・活用のためにご尽力されておりますこと
に対して深く敬意を表します。
 さて、貴市における歴史的な建造物の保全・活用の取り組みについては、
文化財指定のほか、「歴史を生かしたまちづくり要綱」を制定しての歴史的
建造物の登録及び認定等が行われています。
 このうち、近代建築については、関東大震災や戦災の影響もあることか
ら、その建設時期の大半は昭和期に集中しておりますが、残念ながら、第
二次世界大戦を境にして、戦後建物の文化財指定及び歴史的建造物の認定
は、現在のところ1件も行われておりません。これには、貴市の近代建築
保護のプライオリティーとして、「まずは戦前のものから」という線引き
が存在するためと伺っておりますが、そのような中で戦後間もなくに建築
された一つの名建築が危機的状況に瀕しております。
 横浜市中区本牧元町75番地、故アントニン・レーモンドが設計した傑
作住宅、旧スタンダード石油社宅(通称:ソコニーハウス)がその建物で
す。この建物は、1949〜50年にかけて建てられ、大戦中、アメリカに帰国
していた氏の戦後の日本における最初の作品として知られており、当時の
建築誌の紙面を数多く飾っております。
 この建築に対して、貴市はいち早く高い評価を下し、当時の横浜市長 平
沼亮三氏 より"BUILDING HONORED FOR THE YEAR OF 1953"が授与されたこ
とは、すでにご承知のことと思います。それから50余年経った現在、この
建築と同時期(1951年)に建設された三重大学のレーモンドホールが、国登
録文化財に登録されており、仮にこの建物の評価基準を全国区に置き換え
たとしても、その価値に何ら変わりのないものと確信しております。
 しかし、現在、建物は手入れのないままの状態におかれ、最近では墓地
建設計画の話も浮上していると聞き及んでおります。
 つきましては、別紙の「参考資料」にも示しますとおり、当建物は文化
的・歴史的価値を有する重要な財産ということだけではなく、周辺の「八
聖殿」や「三渓園」とともに、本牧地域の貴重な観光資源としての活用も
期待できるものであり、これを後世に伝えるべく、保存・活用の道をご検
討頂けたら幸甚です。本会といたしましても、建物の利活用に関して、可
能な限りのご協力をさせていただく所存です。
なお、当建物の敷地は第3種風致地区にあり、建物の保存が、緑地と歴
史的景観の保全に繋がると同時に、児童公園・保育施設に隣接しているこ
とからも、幼児・児童の良好な教育環境形成に寄与することも加えて申し
添えます。




参考資料1
Antonin Raymond (アントニン・レーモンド)

◆略歴
1888年 チェコのクラドノに生まれる。
1909年 プラーグ工業大学卒業。
1916年 フランク・ロイド・ライトの許で働く。
1919年 12月31日、帝国ホテル建設のために来日。
1921年 ライトの許を去り、「米国建築合資会社」をL.W.スラックとはじめる。
 〜前川國男(神奈川県立音楽堂・図書館設計)、吉村順三(東京芸術大学名誉教授)ら、
  著名な日本人建築家を育てる等、後に「日本近代建築の父」と呼ばれる。
1926年 チェコスロバキア共和国在日名誉領事となる。
1941年 東京事務所閉鎖、帰国する。12月太平洋戦争はじまる。
1948年 10月、再来日する。
1950年 スタンダード石油社宅(通称:ソコニーハウス)建設。
1952年 A.I.A(アメリカ建築家協会) 名誉会員となる。
1953年 ソコニーハウスに対し、平沼亮三横浜市長より「BUILDING HONORED
     FOR THE YEAR OF 1953」が贈られる。
1956年 A.I.Aより、「The Medal of Honor」が贈られる。
1957年 A.I.Aより、八幡製鉄体育館の設計に対し「Award of Merit」が、聖ア
     ンセルモ教会に対し「First Honor Award」が贈られる。
1964年 勲三等旭日中綬賞受賞
1966年 日本建築家協会終身会員となる。
1976年 ニューホープで死去

◆主な作品
 イタリア大使館別荘(日光)国登録文化財
 三重大学レーモンドホール(三重)国登録文化財
 東京女子大学(荻窪)国登録文化財  DOCOMOMO100選
 小林聖心女子学院本館(宝塚)国登録文化財
 英国館(宮崎県日之影町)国登録文化財
 アメリカ大使公邸(港区)米国重要文化財
 井上房一郎邸 (高崎:現高崎哲学堂)たかさき都市景観重要建築物
 群馬音楽センター(高崎)たかさき都市景観重要建築物  DOCOMOMO100選
 リーダーズ・ダイジェスト日本支社(神田)第1回日本建築学会作品賞
 南山大学(名古屋)日本建築学会作品賞  DOCOMOMO100選
 軽井沢聖パウロ・カトリック教会(軽井沢) DOCOMOMO100選
 軽井沢夏の家(軽井沢)(軽井沢タリアセンへ移築)現ペイネ美術館
 軽井沢の新スタジオ(軽井沢) DOCOMOMO100選
(横浜での作品)
 エリスマン邸 横浜市認定歴史的建造物 元町公園へ移築
 フェリス女学院10号館(旧ライジングサン石油社宅)
 パークシティ本牧クラブハウス(旧スタンダード石油社宅:復元)
 昭和シェル石油山下町ビル 平成2年解体(玄関部分保存)




参考資料2
スタンダード石油社宅(ソコニーハウス)の概要


◆所在地  横浜市本牧元町75番地
 当地は、かつてペリー艦隊の乗組員が自身の故郷を想い「ミシシッピベイ」と名
付けた断崖の、しかも東側の突端という極めて重要な場所に位置する。古くからの
松や桜が自生する緑豊かな土地であり、歴史的景観を今に保っている。第3種風致
地区。


◆建 物  RC造2階建て1戸、1階建て1戸
 戦前から日本で設計活動を行っていたアントニン・レーモンドの、再来日後初の
作品となる。基本設計はアメリカでなされるも、景観に配慮し、高低差のある地形
や自生する木々を巧みに設計に取り入れ、地所と一体となった建築を完成させてい
る。施工は白石建設による。
 旧スタンダード石油の外国人社宅として、1949〜1950年にかけて建てられ、東
京の伊皿子に4戸、横浜山手にも1戸建てられているが、いずれも解体されてい
る。この本牧でも、2階建て1戸、1階建て3戸が建てられるも、うち1階建て2
戸はすでに失われている。
 コンクリートの打放しの躯体に立板張り、大型の木製ハイサッシュがはめこまれ
た、モダニズム感溢れるデザインであり、日本の地にありながらも、50年代初頭
のアメリカン・ライフスタイルを今に伝える、生活文化史的観点からみても誠に稀
有な存在である。
 また、レーモンドの代表作「リーダーズ・ダイジェスト東京支社」とほぼ同時期
に建てられていることも考えれば、その血の幾分の一かは流れているものと思われ
る。特に「芯外し」とよばれるレーモンド独特の手法が用いられていることや、当
時の日本での最高水準であったコンクリート打ちの工法(日本で初めてコンクリー
トの振動打込機を使用して建てられた建物と推測されている。)など、建築史的に
みても価値の高いものといえる。


◆文化財
 ソコニーハウスは、物資の供給が少ない時代(1949〜50年)にありながら、当
時としては考えられないクオリティを持ち、「※注 当時の日本の建築界をびっくり
させた」建築であり、同年代の他の建築と比して、頭一つ二つ抜きん出た存在とい
える。平沼亮三横浜市長より「BUILDING HONORED FOR THE YEAR」が贈ら
れた理由もそこにあると言えよう。
 加えて、築後50年余りの新しい建築であるものの、国有形登録文化財の登録要
件、すなわち「原則建築後50年以上経過しており、国土の歴史的景観に寄与して
いるもの、当時の造形の規範となるもの、再現することが容易でないもの」のすべ
ての要件に合致していることから、ソコニーハウスは正しく「次世代の文化財」と
いえる。 
 現に、レーモンドが1951年に設計した三重県立大学の付属図書館(現三重大学
レーモンドホール)が、2003年に国登録有形文化財に登録されたことは、これを
強く裏付けるものである。
 因みに、国の登録文化財基準を、同年代の横浜市内の著名な建築物に照らしてみ
ると、将来、文化財的価値が高まると思われる筆頭の建築には以下のようなものが
あげられる。
  ・神奈川県立図書館・音楽堂(1956年)前川國男
  ・横浜市庁舎(1959年)村野藤吾
  ・シルクセンター国際貿易会館(1959年)坂倉準三
  ・社会保険横浜中央病院(1960年)山田守
  ・神奈川県新庁舎(1966年)坂倉準三
 これらは、いずれも規模が大きく、公的建物や病院建物という建物の性質上から
考えても、永きに亘って文化財として保存または活用していくには、相当の困難が
予想される。これらをはじめ、名建築ではあるが、大型建築が多い横浜においては、
特に50年代辺りの建築は残りにくい状況にあり、このことは、遠い将来、この時
代に建てられた建築がごっそりと抜け落ちている可能性を示唆している。


◆保存・活用の方向性
 前述のとおり、ソコニーハウスは「次世代の文化財」に位置づけられるが、保存
というよりも、公共施設としての有効的活用により、さらにその価値を高めていく
ことのできる建築であるといえる。すなわち建築としての寿命は、まだまだ費えて
いない。
 この建物の建設にあたっては、耐久性の高いコンクリート工法が用いられ、洗練
されたデザインを持ち、住宅建築ながらも、その規模は大きく、しかも2棟建てで
あることから、住居としてはもちろん、コミュニティーハウス、レストラン、美術
館、博物館等、様々な用途に対応できる素質を持っている。80年代には、横浜市
が迎賓館としての活用を検討した。
 また、立地的にも、根岸湾を一望でき、晴れた日には木更津方面までも見渡すこ
とができるという好条件、かつ、本牧臨海公園(児童公園部分)や八聖殿に隣接し
ていることから、例えば観光施設として活用されるならば、この建物単体のみなら
ず、周囲の公園や施設等の利用活性化や、さらには三渓園への回遊性までも期待で
きる。

※注部分 三沢 浩 著「アントニン・レーモンドの建築」より引用








横浜近代建築アーカイブクラブ
代 表  仁 木 政 彦 
http://www.kindaikenchiku.com


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