横浜市立大学医学部浦舟校舎
(旧三吉小学校)

横浜市立大学医学部浦舟校校舎は、そもそもは震災復興により建てられた市立三吉小学校の校舎であり、
昭和19年10月、戦中の学童疎開によって空になった校舎へ市大が移転してきたものです。
(当時の名称は、横浜市立大学医学専門学校。)
これにより、昭和22年4月に小学校自体は廃校となりましたが、
校舎が大学に引き継がれたことによって、現在まで運よく解体を免れ、
結果として、市内の震災復興小学校唯一の生き残りとなったのです。

現在、敷地内に建物は3棟ありますが、データは3階建ての1棟のみしか分かりませんが、
体育館(講堂)も同年代の建築でしょうか。
また、正門正面の4階建ては昭和25年3月の竣工との情報もあります。
いずれの建物も傷みが激しく、部分的に解体されているところもあり、
今後、取り壊しになる可能性も危惧されるところですが、
これらの建築は、県内では貴重な建築であることに間違いはなく、
何らかの保全策、今後の継続的な建物活用が望まれます。

ところで、三吉町5丁目の一部は、昭和3年の町界町名整理の際、新設された浦舟町の一部となっていることから、
三吉小学校のもともとの所在地名は三吉町であったと推察されます。
その後、三吉町3・4丁目は、やはり新設された万世町の一部になったことから、
現在の三吉町はごくごく小さな区域となっています。(仁木)

※現在は使用されていないとの情報。今後の動きが注目されるところです。
→平成22年12月解体確認しました。
Data
所在地:横浜市南区浦舟町2-33
構造:R.C.3階
設計:横浜市建築課
施工:小野哲郎
建築年代:大正15年
備考:


 データに掲載されている校舎。一部解体されている。
市内唯一の復興小学校、しかも大正期のR.C.造校舎として貴重。
 

建築年代不詳。マッシブな外観は、迫力あります。



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