旧露亜銀行横浜支店

イギリス人建築家B.M.ウォードの手による、神奈川県における、外資系銀行唯一の遺構です。
建築年代は、写真などの資料から大正10年頃とされており、
特に震災直後の山下町の瓦礫の中、ポツリと残ったこの建物の姿は非常に印象的です。

横浜の地における、他のウォード作品としては、サミュエル商会増築(明治41年)、チャータード銀行(明治43年)、
ユニオン・チャーチ(明治43年)、東陽銀行(明治45年)などがあげられますが、
おそらくすべて震災によって消失したか、その後すぐに解体されたものと思われます。
したがって、彼が英国王立建築家協会の準会員に推薦されるにあたっては、
この建物が代表作品としてあげられたと言われています。

建物は、古典的な様式をモチーフにした、銀行建築にはよくあるパターンながら、
他の銀行建築と比して、個々の装飾のパーツのサイズが非常に大きいことがわかります。
これは、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで広まった、バロック建築に見られる手法で、
これによって、建物を劇的かつダイナミックに見せることができます。

露亜銀行の移転後は、ドイツ領事館、横浜入国管理事務所、警友病院別館として使われていましたが、
警友病院の移転後は空家(神奈川県所有)となり、今後の保存・活用が望まれます。(仁木)

Data
所在地:横浜市中区山下町51-2
構造:R.C.3階
設計:バーナード.M.ウォード
施工:
建築年代:大正10年頃
備考:

大正15年〜昭和3年7月まで、アメリカ人建築家J.H.モーガンが自身の事務所を置いたこともあるとのことです。
その後モーガンは、震災によって失われたウォードのチャータード銀行の新築設計を請け負うことになります。



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